谷川岳(1,977m) (群馬県) |
1977年6月5日 同伴者 wifeと山仲間 |
結婚前に山仲間たちと一緒に登った山行です。
上部まで続く雪渓を登る どん尻を登るイルボン
上野駅===(上越線・普通)土合駅--- 一ノ倉沢出合---一ノ沢出合---雪渓上部---シンセンのコル---(東尾根) 第一岩峰・第二岩峰--- 谷川岳(オキノ耳・浅間岳)---(トマノ耳・薬師岳)---西黒尾根---指導センター---谷川岳ロープウェー乗り場===(バス)===水上駅===(急行)===上野駅 (当時のコースタイムが判明せず記載できません) |
山仲間たちが東尾根へ行くと聞き、山はまったくの素人同然の交際していた現在のWifeを同伴して
参加させてもらいました。いつも彼女を置き去りにして山行をしていた罪滅ぼしのつもりで・・・
決まって上野駅には午後9時30分に集合して当時の定番22時13分の鈍行長岡行きの順番待ちの列に・・・
22時13分の鈍行長岡行きは大宮以北へ帰る方々の最終列車にもなるために勤め帰りのサラリーマンたちで
何時も超満員の列車でした。そんな列車のボックスシート足元に潜り込み寝床の確保が儀式のように繰り返した
思い出の列車です。谷川岳には何十回と通っていた若き日が思い起こされます。
現在は新幹線などの普及などを理由に長距離の普通夜行列車が姿を消してしまったのが残念であり、
登山愛好家の大事な交通機関だっただけに復活してもらいたいものだと思います。
当時、現在のWifeとは東京⇔群馬との長距離恋愛の身で、この山行でも上越線の群馬総社駅にて
深夜にも関わらず列車を待っていてくれたWifeと合流いたしました。
一ノ倉沢一ノ沢〜東尾根〜谷川岳〜西黒尾根 |
列車は午前2時50分を過ぎたころ清水トンネルの地下深くにある土合駅に到着し毎度見上げれば
首が痛くなるような10分ほども労する百数十段の階段を大勢の登山客にまじって地上を目指して登って行く。
この階段を登るだけで一汗掻いてしまう程の日本で一番深い地下駅です。
改札を済ませ身支度も完了! いざ東尾根へと向かう・・
外はやっと夜明けまでは少し早く、まだまだ暗くてヘッドランプを頼りに歩かねばなりません。
登山指導センターにて登山届けの確認を済ませて一ノ倉沢の向かう頃に、やっと空は白み始めます。
清清しい山の息吹が一日の始まりを感じさせてくれる。
一ノ倉沢へ入山するには登山指導センターに事前の登山許可がなければならない領域です。
一ノ倉沢出合から仰ぎ見る岩壁群は朝日を受けそれはそれは荘厳です。
その一ノ倉沢に入ると一番最初に右岸(左側)から合流してくるのが一ノ沢です。
一ノ倉沢の入門ルートであり登行距離が一番短いルートとして人気があります。
6月初旬はまだまだ残雪が多くあり、一ノ沢も下部3分の2近くまで雪渓を登ることになります。
無雪期は苦労する滝も雪の下に埋もれて意外なほど簡単にキックステップで登れます。
しかし上部へ行くにつれ高度感を増しちょっぴり緊張もするが、アイゼン・ピッケル着用すれば
快適な登行であった。←イルボンの弁 Wifeは多分、緊張の連続だったのでしょう←推測
雪渓が終わり滑りやすい岩場には仲間達がフィックスロープを張ってくれました
シンセンのコルにて(後方は一ノ倉尾根)
悪場も通過して東尾根のシンセンのコルに到達し大休止をとる。
周囲を見渡せば高度も稼ぎ衝立岩の頭と同じ高度に達していました。
東尾根はマチガ沢と一ノ倉沢を分け、谷川岳北峰(オキノ耳)へと続きます。
マチガ沢・一ノ倉沢・西黒尾根、後方には朝日岳や白毛門、遠くに越後三山などまぶしいばかりに
目に飛びこんできて、Wifeの楽しそうな顔を見て、あぁ〜 連れてこれて良かったと思った瞬間でした。
ここから東尾根の登行になるが踏み跡もしっかりしていて快適に高度を稼ぐ。
途中、岩峰を2つ越えますが、ここだけ注意するば後はオキノ耳目指して一気にGOです。
マチガ沢上部が良く見える 岩峰の基部にて 残雪の東尾根上部を行くWife
I love you 谷川岳
晴天も手伝い快適な一日を楽しませてくれた東尾根に感謝しつつオキノ耳の頂上へ無事に立つことができました。
谷川岳は北峰のオキノ耳(浅間岳)が主峰で南峰のトマノ耳(薬師岳)との双耳峰です。
遠く尾瀬の燧ケ岳・至仏山・日光白根山、上州武尊岳・赤城山、越後の山々
素晴らしい景観です。だから山登りは辞められないのだと、つくづくと思う一瞬でした。
谷川岳頂上にてツーショット Wifeの笑顔
西黒尾根の下りも足取り快調に無事に下山をし、恒例になっている
水上駅前の寄らずには居れない名物オヤジの食堂(ご無沙汰し過ぎて屋号を忘れましたが)に
立ち寄り、例のごとく「下山祝い」を注文しました。何のことか分りますか?
「下山祝い」と呼ばねば出して戴けない代物ですよ! 正解はビールでした。
他のメニューも「風邪薬」? 日本酒のことです。
ちなみに、「ビール」・「酒」という呼び名で客から注文を受けるには税務署の許可が必要だとか?いらないとか?
この店のもう一つの名物は鍋焼きうどんでした。腹を空かして食べる「鍋焼きうどんとコシヒカリの半ライス」
いやっ! 半ライスじゃなかった。 丼飯でした。
忘れられないあの味を再び食して見たいと思いますが、オヤジさん元気かなぁ〜?
何時もびしょ濡れ、泥だらけでお邪魔していた若ぞぅ〜を覚えていますかねぇ〜
♪ そんな時代もあったねと
いつか話せる日が来るわ
あんな時代もあったねと
きっと笑って話せるわ ♪
中島みゆき さんの「時代」の一節