イルボン様
小牟田です。貴重なご見解を賜りまして、こちらこそ大変恐縮しております。
私としては、ちょっと堅苦しくしてしまった掲示板の雰囲気がやわらぎかけたところで、適当にまとめて終わらせるようと『イムジン河』について書き込んだつもりだったのですが……。
「民謡なんぞでは無い!」と「なんぞ」呼ばわりで2度も強硬に断定されると、拙著の中で「もともと北朝鮮の民謡であった」と明記した私としては、まるで「よく調べもしないでいい加減なことを言うお前は嘘つきだ!」と2度繰り返して非難された気が致しますので、この記述についての著者としての考えを予め述べておきます。三中堂で見かけられた折には該当箇所をご確認いただければ幸いです。
【民謡】民衆の歌謡。民間の俗謡。庶民の集団生活の場で生まれ、多くの人々に長く歌いつがれ、生活感情や地域性などを反映している。(中略)広義には地方色を帯びた新作歌謡(新民謡)をも含めていう。・・・・・[広辞苑]
辞書によって定義は多少異なりますが、私は『イムジン河』の原曲『臨津江(リムジンガン)』が以上の定義に該当しないとは考えません。
イルボン様が「民謡」をどのような範疇の歌とお考えなのか定かではありませんが、成立が比較的新しく、作詞・作曲者が現実に存在している歌を「民謡」と呼んではいけないとは私は考えておりません。「民衆の歌謡」で「生活感情や地域性などを反映し」ていますし、少なくとも広義の意味における「地方色を帯びた新作歌謡」には充分に含めてよいと愚考致しますが。
それに、「民謡なんぞ」という、イルボン様らしからぬいささか不穏当な物言いにも同意しかねます。「民謡」は低レベルな歌で、『イムジン河』はその低レベルな「民謡」などとは比べようも無い高貴な歌だということですか?
ご説明の通り、原曲に作詞家・作曲者がいて、当時北朝鮮国内に健在であったこと、北朝鮮の愛国歌の作詞家でもあったこと、そして発売中止に至るまでのトラブルなど、イルボン様がお書き下さったことは全て執筆前に調査して存じております。
何しろ、発売中止騒動は昭和43年で、私の生まれる遥か前のことゆえリアルタイムでは知りようの無い、私にとっては歴史上の事件です。ですが、何とか正確かつ簡潔な記述にするため、ネット上の情報はもちろん、この歌を特集したテレビ番組、新聞、雑誌…とにかく物理的に入手できる資料は可能な限り収集したつもりです。編集者を経由して、ある程度事情に詳しい当時を知る人などにも内容の確認をしました。これ以上細かい確認作業の過程はもう思い出せませんが。
そうした作業の上で、「民謡」とは何ぞや?ということも自分なりに考慮して拙著にはかように記述し、本掲示板でも同様に書き込んだにすぎません。それがケシカランと仰られても、それは「民謡」というものをどう捉えるかについての見解の相違ではないでしょうか?
したがって、『イムジン河』の原曲が「もともと北朝鮮の民謡であった」という私の考えに誤りはないと思っています。
ただ、
>☆当時の複雑な国際情勢の影響で☆ってフレーズではあえて●●総連とか国名を記述したくなかっただけです。
この部分は全く同意で、まさしく拙著でもおんなじような表現でお茶を濁しております(具体的にどう書いてあるかも併せてご確認下されば有難いです)。
「民謡」であるか否かを別にすれば、日本語詞の成立経緯や発売中止時の真相などについてのイルボン様のご見解は、書き込みから拝見する限り私の認識とさして変わらないと思われます。でもそこをあえて、いろいろ考えてかようにぼかして書きました。
にもかかわらず、すでに私のところには、「あの歌は日本人が勝手に北朝鮮の歌を盗作し、それがバレて発売中止になったのだ。お前の本はデタラメである、許せない。我々が一丸となって貴様を弾圧してやる」という文面の、差出人不明の脅迫メールが実際に来ています。
「我々」がどこのアホなのか知らないし、当然こんなのは無視しておりますが、私は出版前から、どんなに非政治的な分野であっても、コリア関連の書籍である限りこうした(わけのわからん)攻撃を受ける危険はあると覚悟し、少なくとも論理の構築では絶対にそうした攻撃に対抗できるように細心の注意を払って拙著を完成させております。先の書き込みで私が申し上げたのもまさにこのことです。
『イムジン河』に対するイルボン様の思い入れは、リアルタイムの経験をしていない私にはとても計りしれないところがあるのだろうと推察いたします。が、私見との違いは見解の相違によるものであって事実の誤認によるものとは私は考えていない点をお伝えしておきます。文中、ご無礼の点があれば、人生経験の浅薄で無学な未熟者の戯言と平にご容赦下さい。
http://www3.realint.com/cgi-bin/tbbs.cgi?hashiritai