西穂高岳(北ア)2908m 中部山岳国立公園
2008年5月04(日)〜05日(月) 同伴者 ナシ (往路ムーンライト信州・復路高速バス利用) |
GWを利用して30年ぶりに残雪の穂高岳を目指しての山旅を
ターゲットは穂高岳中、未踏の西穂高岳に決めた
奥穂高を16歳で登って以来40年の歳月の果てに奥・北・前・西と穂高岳の全峰に登頂する予定でした
(03日)自宅 18:00===新宿駅23:54===(ムーンライト信州・快速)=== (04日)===04:32松本駅04:50===(松本電鉄)===05:13新島々駅05:30===(松電バス)===06:40帝国ホテル前=--- 07:00ウェストン碑---07:20登山口07:30---14:00西穂山荘前(幕営泊) (05日)西穂山荘前06:50---08:50独標09:00---10:10西穂山荘前(幕撤収)10:50===12:20新穂高ロープウェー西穂高口駅 13:10(ロープーウェー)13:40新穂高温泉駅---14:00新穂高バス停14:15---平湯バスターミナル(パノラマ浴場笠の湯入浴) 14:30===16:50(濃飛高速バス)===22:40新宿駅前===23:30自宅着 |
独標を仰ぐ
快速ムーンライト信州で新宿を出発 |
新釜トンネルを抜けると焼岳が |
帝国ホテル前でバスを下車 |
以前より金曜日夜間だけに運行されている快速ムーンライト信州がGW中では3日まで
運行されることをネットで(JR東日本HP)知るや無性に北アルプスへ向かいたくなった。
休暇の少ない私にとって夜行の交通機関は何よりの味方である。
休日前夜にしか運行しない白馬行きの「ムーンライト信州」快速列車を始めて利用する機会が訪れたのだ
編成列車は若い頃には高嶺の花であった旧特急「あずさ号」ではないか!リクライニング付の!
その列車は急行料金不要で指定席料金(510円)だけで乗車可能な得々列車であった。
長距離の夜行列車の少なくなった現在では中央本線唯一の岳人お召し列車でしょうか
白樺林越に焼岳が朝日に輝く |
田代橋を渡れば登山口 |
ウェストン卿のレリーフへ参る |
夜明け目前の松本駅で松電に乗り換えて終点新島々駅に降り立つと上高地行きのバスが待ち受けていた
駅舎も若き日の古ぼけた木造のおんぼろ駅舎ではなかった。時代の移ろいを感じずには居れないひと時である
バスにも大きな荷物を背負い込んでいるのは自分一人だけ、昔なら誰もが同じくらいの荷物を背負っていたのだがなぁ〜
沢渡、山吹トンネル、中の湯と通過すると新釜トンネルを速度を落とさずに通過するではないか(驚きであった)
若き日の正月合宿で沢渡から重荷(30Kg以上)を背負いて歩き、入り口に掛かるむしろのカーテンを掻い潜って通過した
旧釜トンネルはどうなってしまったのだろうかと考える暇もないうちにトンネルを抜けてしまった
トンネルを抜けると、そこは??だったと川端康成さんの名文句を想いだす
まるで別世界だ!アルプスが朝日に輝き迎えてくれた。 来て良かったと思った瞬間である
大正池越しに焼岳が眩しいくらいに輝いている。空は一遍の雲も無く群青色
バスを上高地終点の一つ手前の帝国ホテル前で下車し田代橋へ向かう
梓川沿いの遊歩道には大勢の早朝散歩をする観光客たちがいて、我が身を場違いではと、ふと思ったりして
元々の我らの世界に彼らが侵入しているのだよ!ってなこと腹に留めて、ウェストン卿に30年ぶりのご挨拶に立ち寄る
登山開始より程なく雪道が現る |
重荷と寝不足で一向にペースが上がらず |
木々の間に前穂、明神が白く輝く |
夏道も残雪で消され、先行者のトレースを追い登るのだが例年ならジグザグにコース取りするのだが
今年は直登の連続。多分下降パーティーのトレースなのだろうか?
登る者にとっては非常に苦労の多いトレースであった
中間部より上部は完全な雪道になり一歩一歩がスタミナ切れ寸前の苦しさ
テント、シュラフ、コンロ、炊事道具、食料、水、燃料、衣料等など総重量25Kgはあろう
最近は重量が推測できるようになった。海外航空便で規定20Kgまでというか
4〜5Kgオーバーまでなら黙認してもらえる、ぎりぎりのラインを体で覚えているからだ!
今回の重量も、そのラインぎりぎりか?もしかして追加料金か?と思える目方でした
痩せ尾根を忠実に進む |
残雪量が多くなれば西穂山荘も近い |
夏時間の行程で3時間の道のりであるが、我輩は6時間30分を要してしまった
仕方ねぇ〜、年甲斐もない登りかたしているのだからと自分を慰めた
初日は晴天に恵まれたが翌日は雨降りの予報、晴天が長続きしないのもこの時期の特徴
いっそ雪にでもなってくれれば良いのだが、この気温では雪には絶対になるまい
そんなこと考えながら西穂山荘前40mくらいの雪上に天幕を設営した
幕場は7〜8張の天幕が思い々に張られていてとてもカラフルであった
その中でも我が家は一番大きいのでは思えるほどの余裕にクスクスものである
4〜5人用天幕をたった一人で使用するのであるから、それは3DKに一人住まいと変わらない
焼岳分岐を過ぎると西穂山荘が見える |
我が家4〜5人用天幕 |
暮れなずむ幕場 |
天幕内は荷物置き場、炊事場、寝床と余裕充分、無いのはトイレだけって当たり前
天幕内部 |
翌日は朝からガスって視界が悪い |
西穂山荘も霞んで見える |
4時に起床するもガスが消えることを期待しつつ炊事に取り掛かった
ガスが晴れねば心も晴れないのは当然。計画通りに西穂高岳登頂を目指して
躊躇しているうちに遅くなってしまい6時50分の出発になった
隣の幕も出発準備してるし |
大分ガスも薄らいで上部も見える |
西穂山荘泊りの連中は空身で出かけた |
丸山まで登るとガスも多少薄れてきたが霞沢岳、明神岳も頂稜はガスの中に隠れている
西穂の主稜線も独標が見え隠れしていた。独標手前のコルから独標までは完全に雪が無い
夏道を一歩づつ登り、独標到着まで2時間を要した。上部は完全にガスの中で視界ゼロ
視界ゼロと雨が何時降り出してもおかしくない状態を考慮して西穂高岳登頂を
あっさりと諦めて下山することを決意。また来りゃ良いではないか! 無理はもう出来ぬ!
丸山を望む |
一登りしたら山荘泊まりの連中がいた |
後方には笠が岳の稜線が |
丸山もガスで見え隠れ |
夏道も所々利用 |
夏道よりやはり雪道がいいなぁ〜 |
丸山の登り |
蒲田川側はガスで見え隠れ |
一瞬 独標が見える |
弓折岳方面 |
眼下には西穂山荘も見えた |
独標の登りは雪が無い |
明神岳も頭はガスの中 |
眼下に焼岳が |
大正池がはるか下に |
独標手前のコルより上には雪が一切無く夏道のペイント頼りに独標に辿り着いく
相変わらずの視界で、上部は全く見えない
笠が岳を望む |
最終到達点、独標2701mにて |
岳沢側はかなりの残雪があった |
独標 |
独標にて |
独標のチョルテン? |
天候を考慮して無理せずに下山を決意したとたん下山後の温泉浴が頭を支配しているではないか!
西穂登頂は達成できなかったが今の自分は山を楽しむことが目的なのだから、今更ピークハントが何だ!
と嘯いて慰めるしかないのだろう。やはりバケツ蹴飛ばしたい気持ちは相変わらずですがぁ〜
西穂山荘から下山途中、雨が振り出した |
ロープウェー駅到着 |
乗客の95パーセントは観光客 |
いやぁ〜良いもんだ! すっかり恒例になってしまった日帰り入浴(只単に宿泊費節約の何物でもないようだが)
新穂高温泉からバスで平湯温泉のバスターミナルまでたどり着いた
ターミナル3階にはパノラマ温泉浴場があり、新宿行き高速バス乗車まで1時間30分あるので
即座に温泉浴場へ向かうが今風の浴場には風情は感じられなかった。
しかし窓外には蒲田川上流の雪を抱いた山々が迎えてくれ、流石!パノラマ浴場と言うだけあり
それだけで、この温泉の価値ありと賞賛したい
パノラマ温泉の浴槽
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平湯温泉バスターミナル (3階がパノラマ温泉浴場) |
連休も残り1日の5月5日と言うことで高速道路渋滞予測を覚悟の上で高速バスに乗車
何ってたって料金が安い! それと平湯温泉→新宿駅を直通で結ぶ便利さと来りゃ
一々、鉄道なら乗り換えねばならぬところ夢気分で東京まで帰着できるのだから感謝感謝だ!
夜行1泊3日の旅も到着予定時刻を40分程度の遅れで無事に新宿まで帰着できた。
30年ぶりの穂高岳を歩き感無量である。若き日の様々な苦闘や仲間と過ごした時間を回想し
自分自身を見つめ直すことのできた価値ある山旅でした
若き日の夏には30日、冬は15日過ごした大好きな穂高岳
30年の空白期間は何だったのだろう? そんな時期があっても良いのだろうけども・・・
山の姿は昔も今も変わらない、これからもずっと変わらないでいてくれな!
ありがとう 穂高岳 また来るよ!
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